死ねば何も残らない 釈尊(スッタニパータ)とマルクス・アウレーリウス(自省録)

ブッダのことば − スッタニパータ』 中村元
第四章「八つの詩句」、第六経「老い」
806 人が「これはわがものである」と考える物、――それは(その人の)死によって失われる。われに従うひとは、賢明にこの理を知って、わがものという観念に屈してはならない。
808 「何の誰それ」という名で呼ばれ、かつては見られ、また聞かれた人でも、死んでしまえば、ただ名が残って伝えられるだけである。


マルクス・アウレーリウス 『自省録』 神谷美恵子
第四巻 19
死後の名声について胸をときめかす人間はつぎのことを考えないのだ。すなわち彼をおぼえている人間各々もまた彼自身も間もなく死んでしまい、ついでその後継者も死んで行き、燃え上がっては消え行く松明のごとく彼に関する記憶がつぎからつぎへと手渡され、ついにはその記憶全体が消滅してしまうことを。しかしまた記憶する人びとが不死であり、その記憶も不朽であると仮定してみよ。いったいそれが君にとってなんであろうか。いうまでもなく、死人にとっては何ものでもない。また生きている人間にとっても、賞賛とはなんであろう。せいぜいなにかの便宜になるくらいが関の山だ。ともかく君は現在自然の賜物をないがしろにして時機を逸し、将来他人がいうであろうことに執着しているのだ。


素晴らしい。釈尊はいふまでもなく、マルクス・アウレーリウスも。五賢帝最後の皇帝、つまりパクス・ロマーナが確立されたときの最高権力者が斯くも名声を求めず実直であらうとは。

チリが今年から一年中サマータイムにするさう

チリは本土とイースター島の2つの標準時を持つてをり、それぞれUTC-4、UTC-6の時間帯である。また、夏にはそれぞれ1時間進みUTC-3とUTC-5となる。現在は夏時間が使はれてゐるため本土はUTC-3で動いてゐる。南半球でありこれから冬に向かふわけだから、サマータイムがそろそろ終はる筈である。ところがチリは今年、時間を戻さずに本土ではUTC-3を使ひ続けるといふから驚いた。世界地図を見ると地理上チリは西経75度にかかつてゐるから、本来本土はUTC-5でもいいくらゐである。なのに地理上の位置から2時間も早めることになる。なほ、西経45度はリオ・デ・ジャネイロ辺りだ。
私個人は、夜はずつと明るくまた朝は暗い中から空が白んでくる感じが好きであり、さういふ理由でサマータイム導入賛成だつたが、この発想はなかつた。日本で1時間早めようとすると東経150度規準になる。択捉島より少し東、得撫島(Google IMEすら変換しない)にかかる。南鳥島は東経約154度なので辛うじて領土の範囲内。チリに比べりや餘程マシである。日本でもやつてほしいなあ、是非。

集団的自衛権、閣議決定

安倍内閣集団的自衛権について憲法の解釈変更の閣議決定をした。個人的には集団的自衛権それ自体は賛成だが、今回のやり方は拙速でよろしくないと思ふ。

懸念なのは、米国の戦争に付き合はされる程度が増すであらうこと。集団的自衛権は日本は有すべきだと思つてゐるので、最終的には同盟国の要請には応へていくべきだと思ふが、日本は未だイラク戦争の総括すらできてゐないのに、今急いでやるべきだつたのか。集団的自衛権を有する様になることで、自衛隊にどのやうな支援が必要になるのか、よく分析、調査せねばならないと思ふ。中東はイラク情勢がまたまた混迷を極めてきた。こんなの米国の中東政策の大失敗が根源だらう。このタイミングでやらねばならぬ理由がわからない。もつと議論すべきことがあつただらうに。
理想は日本は軍隊をもつて、米国に追随するんぢやないできるだけ対等な(完全対等は無理でも)関係を築いて、米国の意嚮を丸呑みしない形がよいんぢやないかなあ。難しいけど。

あと、集団的自衛権保持に根本から反対してゐる方々は、多くは平和憲法の精神に反するからといふ全うな理由だと思ふんだけど、中国人や朝鮮人(韓国人)と一緒に批判するのは逆効果もいいところだから。これは国内問題であり外国は関係ないし、軍隊が必要(果ては9条破棄)だと考へる人々は、中国を脅威だとする理由が第一なんだから。朝鮮半島だつて休戦とはいへ戦争してゐる最中である。自分のことを棚に上げて日本批判するなんてどうかしてる。逆効果だつてこと理解してるのかな。日本だから内政問題でも口出しやすいのかもしれないけど。それを批判しない日本政府も甘ちゃんなんだよ。前述の平和憲法理念の方々は真つ直ぐなんだけど、全然一般の日本人に声が届いてゐない。外国人とは組まない方がいいよ、この安全保障と平和(憲法)については。声のでかい左翼つぽい人は活動やめた方がいい。目的が最早わからない。平和活動への支障とすら思へる。

もう一度、現時点で集団的自衛権を容認したこと、これは反対。一方それへの主に左翼つぽい人の反対の仕方も反対。外国人と結託するなんて以ての外。

帝銀事件はこうして終わった―謀略・帝銀事件

帝銀事件はこうして終わった―謀略・帝銀事件

帝銀事件はこうして終わった―謀略・帝銀事件

面白いなあ。近所のかかりつけの歯医者についての「俺はどういうわけか、あの歯医者が帝銀事件の真犯人のような気がしてならないのだ……」といふ印象が、自分の人生をかける帝銀事件への捜査にならうとは誰が思へようか。コレは本当に著者の帝銀事件に対する人生をかけた調査の集大成といへる。だからこそ真に迫る内容でグイグイ引き込まれる。他の帝銀事件関連本は未読ではあるけど、これだけ読めば実行犯はこの歯医者であること、背後はよくいはれるやうにGHQであることは信じてしまふ。しかし書名にある通りに「帝銀事件はこうして終わった」とはなほいへないと思ふ。
GHQが旧陸軍の登戸研究所の毒薬「ACH=アセトンシアンヒドリン=青酸ニトリル」を試すために、10数人の民間人を殺すだらうか。目的に対する手段が残虐すぎる。ここに違和感を感じざるを得ない。警視庁と米国公安当局が持つてゐるらしい秘密が明らかになつた暁に帝銀事件に真に幕が下りるのではなからうか。

安倍首相靖国参拝

首相が靖国神社に参拝することは本来なんの問題もなく本人の思想信条に基づき自由にすればいいことだと思ふ。ことを問題化しややこしくしたのは朝日新聞を初めとする左翼メディアに他ならない。外国は靖国神社の宗教的本質を理解して批判はしていない。一次ソースは左記メディアの報道によるもの。

一方安倍首相は自分の信念をしつかり説明してゐない。説明できないなら参拝なんてすべきではない。思想上A級戦犯なんて認めたくないのだらうがそれを説明することができないといふことなんだらう。所謂戦後レジームの脱却に関はる部分だし。

靖国神社A級戦犯分祀できないといふけれど、それはそれで如何様にでも対処はある筈である。私は戦死した兵士と刑死した人間は分けて扱ふべきだと思ふ。これで首相は勿論天皇の親拝も叶ふものになると思ふ。例へば、東條英機の御霊なんてわざわざ参拝する価値があるとは思へない。東條は、当時の国難を考慮しても日本国民からすれば日本を敗戦させ疲弊させた当時者だ。その他戦犯も大体はさうだらう。ただ、経緯が無茶苦茶な東京裁判を根拠として扱ひを分けるのはやりたくないので、戦死か否かで分けたらよい。

この問題の解決の近道は靖国神社の方針変更しかないと思ふんだがね。また神道サイドのメッセージ発信も少なすぎる。これは失望するほどに。中国韓国は騒ぐことが目的だからどうでもいいけど、誤解され続けて黙つてるつて恥ですよ、これは。
もつと根本的には、明治以降に形づくられた神道の再考までいくと面白いんだけどなあ。新時代の天皇役割も見えてくるんぢやないの?外国との親善や国民との関はりだけでなく、真に伝統的な役割も大いに国民に知るところで活動してほしいと個人的には思ふ。政教分離に抵触するかはわからないけど。

因みに首相の靖国参拝は法律的な解釈はわからないが本人の思想信条に基づき信教の自由で保障されるものだと考へる。

WiMAX2+発表

http://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/20130930_617379.html
http://k-tai.impress.co.jp/docs/news/20130930_617378.html

WiMAX2+が発表された。
東名阪から順次拡大とのこと。
350km/hでの大容量通信の実現を謳つてゐるのだから、新幹線はじめとする電車の沿線からスタートしたらアピールになるんぢやないかな。といふかさうして欲しい。
やはりといふか、7GB制限は今後予定されるとのこと。自宅のネット接続環境を光からWiMAXに変へた身としては、それは避けてもらいたい。自宅での用途は7GBぽつちぢやとても耐へられないだらう。これでは外部使用限定になつてしまひ、携帯電話との住み分けができず淘汰されるだけ。制限は仕方ないとしても、10GB、50GB、250GB位で月額費用を変へられるなど柔軟なプランを打ち出してほしい。

外環道(東京外かく環状道路)の「かく」

http://www.ktr.mlit.go.jp/gaikan/index.html


上記サイト、外環道(東京外かく環状道路)の「かく」が平仮名なんだけど、かういふのを見るとそれが元々どんな字なのか調べたくなる。
イカク(グワイクワク)を変換すると先づ「外郭」が出てくるのだけど、「郭」は常用漢字なのでわざわざ仮名に書き換へる必要はない。辞書で調べたら、外郭は外廓とも書くさうだ。外郭は元々外廓で書き換へ表現になるといふことか。しかし国交省がなぜわざわざ「外廓」にこだわつて、「外かく」なる表現にしてゐるのかは謎だ。戦前からさう表現してゐたからといふことかな。


ウィキペディアはこちら。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%96%E3%81%8B%E3%81%8F%E7%92%B0%E7%8A%B6%E9%81%93%E8%B7%AF
理由は書いてない。けど、一部自治体は「外郭」としてゐるさうだ。
あと、ノートの議論で、以下の様なコメント(無言雀師 2009年1月28日 (水) 22:15 (UTC) )があった。

(参考コメント)日本国憲法施行後の官報検索を行いましたところ、建設省国土庁(及び現在の国土交通省)関連の告示・入札の公示・官庁報告では昭和47年6月までは全て「東京外かく環状道路」のようです。昭和47年7月から昭和50年4月までは「かく」も「郭」も登場例がなく、昭和50年5月から平成3年12月までは「郭」のみ、平成4年7月から平成8年7月までは両例があり、平成8年8月からは再び全て「東京外かく環状道路」になっています。

一貫性はどうもなささうな気がする。しかし、かうやつて表記についていまでも無用な混乱を齎すのだから困つたものだ。


因みに中国語普通話だと、
郭はguo1
廓はkuo4
という発音。