木村政彦は力道山に勝てたのだらうか

増田俊也木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』を読んだ上、自分なりの考へをまとめてみる。まづ、木村政彦力道山に敗北したのは歴史的事実である。力道山がプロレスのブック破りをしたのも事実であるが、あの勝敗は覆らない。一方、力道山の勝利は騙し討ちによるもので、あの勝利に名誉はない。しかし、あの騙し討ちがなければ木村が勝つてゐたかといふと、それはわからない。

あの試合は結局何だつたのか、誰がどうなつたのか、解釈によつて幾らでも変はる。この本では、多くの格闘家の証言から木村の調整不足は否めず木村は力道山に勝てなかつたのでは、と結論づけてゐる。これは、プロがさういつてゐるのだからさうだつたのだらう。ただそれ以前にもう力道山が構築した戦局から力道山の勝利は決定づけられてゐたやうにしか思へない。

どんな勝負事にもルールは必要である。ヷーリトゥードの格闘技や、戦争であつてもだ。騙し討ちは反則であるが、その結果まで見据ゑて、綜合的に良しとなるならそれは良しである。この試合ではルールについて揉めてゐた。代表的なところでは力道山の空手チョップは許されたが、木村の当身(打撃)は許されなかつた。これを木村が飲まざるを得なかつたのも力道山の戦局が有利だつたことに他ならない。

木村がこの試合を行ふ必要があつたのは、己の名誉を恢復するためだ。自分の方が力道山より強いのだと。シャープ兄弟との14連戦で木村は負け役を強いられ続け、それ以前から力道山との間で格が逆転してしまつた。

シャープ兄弟を連れてきたこと、そのために実力者から金を引つ張つてきたこと。とにかく力道山は己がのし上がるためにやるべきことをやつてきた。木村は1試合100万円のために負け役を買つたんだ。これは力道山の興行である。木村はその筋書き通りに働かなくてはならない。第一にここで木村の負けは決定してゐた。14連戦の途中で負け役ばかりさせられて、試合に出ないと木村が拗ねることがあるが、時既に遅し。木村は大金を手にしたが、取り返しの付かない代償を払つたのである。大には木村が積み上げてきた戦前の柔道時代の名誉、小には力道山戦での不利なルールである。

木村は試合をすることに焦つてゐた。試合さへすればと。その焦りために、試合そのものでないところでは脇がとことん甘い。念書を一方的に手渡す所はもう絶望的だ。これで、力道山の方から後で八百長をしかけてきたとぶちまけられてしまふ。敗北の上に泥まで塗られてしまふ有様。しかし、試合そのものについても前述の通り調整不足であつたし、「試合さへすれば」といふ状況でもなかつた。唯一木村が圧倒的にもつてゐた絶大なアドヷンテージである格闘技の実力もこの時はなかつた。木村は負けるべくして負けた。完敗であつた。侍は将軍には勝てない。格が違つた。

木村の後半生はこれがために塗炭の苦しみであつた。しかし、拓大柔道部に復帰してからは救ひがあつたと思ふ。そして現代でもその名誉は恢復してゐるとも思ふ。あとは講道館が木村を認めることを願ふ。一方力道山は、勝利したがその方法は賞賛に値しないものであることは補足されるべきである。力道山木村政彦に勝利し、その後の日本のプロレスの第一人者になつたという事実は残る。

木村政彦力道山、二人を今見比べたときに輝いゐるのは木村である。歴史、その後のプロレス界を作つた意味では力道山勝利者である。しかし、ホイス・グレーシーの出現以降の綜合挌闘技の隆盛とその後の日本プロレス界の零落を見た時、木村の輝きが増してくる。

勝者は時代と見方によつて大きく変はる。
昭和の2人の怪物からそんなことを思つた。